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日々の暮らしの問題

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紅茶は、中国からヨーロッパへ、初めは緑茶として伝わりました。
不発酵の緑茶が、ヨローパッ人の嗜好に合わせて、次第に完全発酵の紅茶へとかわっていき、大衆化していきました。

イギリスで紅茶が広まったきっかけは、1662年のイギリスのチャールズ2世の結婚でした。
嫁いできたポルトガルの王女キャサリンは、お茶が好きだったので、嫁入り道具として、中国のお茶と喫茶道具、そして当時は貴重であった砂糖を大量に持参しました。
貴重なお茶に、貴重な砂糖を入れて飲むという贅沢な飲み方が貴族社会にひろがり、次第に喫茶が習慣化されていきました。

1689年、イギリス人は中国広東からの茶葉の直輸入を始めました。
イギリス最古の紅茶商「トワイニング」の元となる「トム」の創業もこの頃です。
1721年には、イギリス東インド会社は中国の茶葉の輸入をほぼ独占し、1813年に独占輸入が廃止されるまで続きました。
この時の取引の利益が、大英帝国を繁栄させる基礎を築いたといわれています。

1730年代になると、イギリスに次々とティーハウスが登場し、次第に大衆化していきました。
やがて、紅茶は各家庭でも飲まれるようになり、食料品店で売られ始め、市場はますます拡大していきました。

1831年、イギリス人が、当時植民地であったインドのアッサム地方で自生の茶木を発見すると、東インド会社がアッサム地方での茶木の栽培を始めます。
その後、植民地であるインドやセイロン(現スリランカ)に茶園をつくり、大量生産されるようになりました。
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